3月がとても忙しくなりますので、休みの日に書き残しておきたいと思い立ち。
来月11日になりますと、東日本大震災の日から10年となります。
地震があったあの日のことを昨日のように思い出します。
私の住まいは被災地ではありませんでしたが、市は海に近くちょうど母と母の友人を車に後部座席に乗せて駅の南口―海側に向かっていました。
信号待ちで停止していた車がアスファルトが波のように揺れて、サイドブレーキを引き、必死でブレーキを踏みながら収まるまで耐えていたあの瞬間。
揺れが収まり、デパ地下の駐車場に止めようと混雑していた車から驚愕の表情と共に大勢の方々が飛び出して来て。
急いでラジオを付け、海岸には近寄らないで下さいと放送されて。
即座にUターンして実家に戻りました。
父の無事も確認した後、職場が近い兄が先に戻ってくれていて。
時計が落ていただけだよ、と報告してくれました。海岸線に道路が走る埋め立て地は次々と液状化が起こり。
電話はまったく繋がらないから、保留のメッセージが幾度出ようとSMSで何度もやりとりをして。
仕事で出会うお母さま方は津波の映像がこどもたちにとって非常にショックが大きいからあまりテレビをつけないようにしていることを話されて。
宮城に住んでおられるご家族の方々とやっと連絡をとれた時の安堵感は今でもまざまざと思い出せます。
この年の夏、近所の若いご夫婦が被災地の学生さんを住まいに招いていっしょに食事をさせて頂いて。
数年経ってから、日本の裏側の国に滞在していた時にも『tunami』の単語で私が日本人だと分かると震災のことを何度も尋ねられました。
当時に何度も読んだ生存者の方々の経験談を、昨日改めて拝読しました。
逃げなきゃと高校を卒業したばかりのお孫さんに、ここまで津波が来たことがないと返答された祖父母が流されてしまったこと。
車の上で寒さに耐えられず亡くなった方々のことも。
正常性バイアス、という言葉が用いられたのはこの年でした。つい最近通信ビデオで近所のご夫婦との会話で出てきました。
自分には関係ないとは考えず物事を先送りをしない重要さ。
経験の中にあった住んでいたところが土台しか残らず『最初は欲しいものを思い浮かべていましたが、それは失ったものを振り返るだけでした。それで、必要なものをリストにして考えるようにしました』と話された方のメッセージの意図を自分自身に当てはめて週末必要なものリストを掃除をしながら作ろうと考えています。
出来たら友人たちにもLINEで送りたいと思います。